秋葉原「勘違いが秋葉原の名前の由来」

秋葉原という地名は、明治初期に作られた防火を願う神社に由来する。

1869年の暮れ、神田の相生町が大火に見舞われ、甚大な被害をもたらした。
その後、二度とこのような災害が起きないようにと防火の利益のためにまつる神社が設けられたが、これを地元の人々が、江戸において馴染み深かった防火の神様「秋葉大権現」を祭った秋葉神社と思い込み「秋葉様」「秋葉っさん」と呼ぶようになった。 この神社周辺を大火時に延火を防ぐために空き地にしていたことから「秋葉の原」から「秋葉原」と呼ばれるようになった。
当初は正式な地名ではなく通称であった。

秋葉原といえば何をイメージするだろうか?
例えば「オタク」「家電」「パソコン」「AKB48」など……近年では外国人観光客が大挙して集まる街としても知られている。

しかし秋葉原は、今の“表の顔”しか知らない人には思いもよらない過去を数多く抱える街だった。

例えば、秋葉原には1989年まで巨大な青果市場があった。今もUDXビルの前には碑が残り、かつての姿を見ることができる。

そして水運の要所でもあり、現在のヨドバシカメラのあたりは船だまりだった。

さらに江戸時代には、今の「原宿」のようなファッションの発信地だったというのだ。

「秋葉原を見下ろす神田明神からの眺め!」

JR秋葉原駅の東口、人気の商業施設や電気店が立ち並ぶ秋葉原の顔ともいうべき中央通り。片側3車線の幅広い道路ですが、江戸時代からこの道路は、当時としてはめずらしく幅の広い道路でした。 というのも、江戸時代、この通りは徳川将軍家が上野寛永寺に参詣するために使用した「御成街道」だったんです。
寛永寺は言わずと知れた徳川将軍家の菩提寺。歴代の将軍が、参拝の為に延々と続く行列を従え、上野まで通ったわけです。

江戸時代、上野の山は江戸随一の桜の名所でもあったので、桜の頃ともなれば多くの市民が、笑顔でこの道を北上していったのでしょう! 江戸の世が過ぎた令和の現代においても、様々な多くの人が行き交う道路です。

 

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住所 東京都千代田区神田松永町1秋葉原ファーストビル9F

TEL 03-3527-1912