秋葉原の歴史を辿って

さっそくですが艦これの看板が目立つ中央交差点。いつも通りの秋葉原なのですが、数十年前はこんな感じの風景ではなかったはず。

てなわけで今回は意外と知られていない秋葉原の歴史についてお話していこうと思います。

まずは、秋葉原の由来ですね。
江戸時代は火事が多く、ここ秋葉原が火除地となったのが・・・と、難しいこと言ってもあまりピンときませんよねw
はい、僕もそうです。

ざっくり説明すると
1869年に神田相生町で大火事が発生したそうです。
大火事の被害で明治天皇が鎮火社を建立。
東京府は鎮火社の周辺に火除地を設置。
みんなは鎮火社を火防の神として信仰を集めていた秋葉大権現が勧請されたものと誤解。
鎮火社を「秋葉様」「秋葉さん」と呼ぶ。
火除地を「秋葉原」「秋葉の原」と呼ぶ。
これらの呼び方から「秋葉原」が生まれ、現在では「アキバ」とも呼ばれている。

秋葉原の歴史は言葉よりも現存している場所に行った方が早いですかねwww
それが秋葉原で最古?の建造物、旧万世橋駅でございます。
今から108年前、明治45年に開業。昭和18年に営業終了。
おそらく神社を除けば最古の建造物でしょう。
駅の構内は遺構整備されて、マーチエキュートという複合施設となりました。
再開発ではないところがミソですね。当時の面影のまま残っているわけです。
特に色濃く残っているのが駅のプラットホーム。なんと一般開放されているんです!
11時から22時まで開放されております。
100年の時を経て今も現存していると思うと郷愁を感じてしまいますね!
当時の写真を鑑賞できるのもまたいいですね。
もちろん駅のホームもございます!
そもそも万世橋がどんな駅だったかといいますと、みなさんの良く知る中央線の起終点駅だったんです。
当時の秋葉原は貨物専用駅でした。逆に人を運ぶ万世橋駅付近には、問屋、洋服、飲食店など大変賑わっていたそうです!
線路が多く残っているのも起終点駅の名残りでしょう。今でいう東京駅みたいな感じだったのでしょうかね。
マーチエキュート内にはジオラマが、こちらの模型とてもわかりやすいです。手前に行くと秋葉原、奥に行くと神田ですね。

なんか東京駅に似てない?という方もいらっしゃるかと思います。
実は万世橋駅と東京駅の設計者さんは一緒なんです。しかも開業当初に東京駅はまだございませんでした。
つまり、東京駅のモデルは万世橋駅となるわけでございます!
当時の流通や交通の手段は陸だけではございません。神田川も使われておりました。そう、船が走っていたんですね~。
ですが物資を運ぶにしろ、人を運ぶにしろ港が必要ですよね。
秋葉原にそんなところあったかな?った思われがちですが、実は今もそれがあるんです。しかもハッキリとちゃんと残ってる場所があるんです。 和泉橋のすぐ隣、和泉橋防災船着所。秋葉原駅昭和通り口からすぐのところですね。

神田川から走ってきて、この船着所で降ろす。はい、違います。
実は、秋葉原の駅まで運河があったんです!和泉橋区民会館も当時は河の中でした。
でも、そうだった痕跡はあるのか?そう思う方もいるでしょう。それなら会館わきへ、誰もが素通りし気にも止めない石碑がそこにはあります。 これこそが、ここに運河があった証拠なのです。佐久間橋跡でございます。

なぜか運河に対して平行に架かっているんですが、これに関しては調べてもヒットしませんでしたね。
ちなみに、反対側秋葉原公園の方にも石碑がございます。こちらの方がわかりやすいですね。
神田川を通じてさまざまな物資をここで積んだり降ろしたりしていたのでしょう。
さて、降ろされた物資は全て秋葉原で消化・・・出来るわけもございませんね。遠くの方にも届けなくてはなりません。
そこで使われたのが今の秋葉原の前身である秋葉原貨物駅。
この辺は日本通運の倉庫だったみたいなのですが、なんとなくですが日比谷線エレベーター上の天井がそんな感じしませんでしょうか。倉庫といえば丸いアーチ。だいたいこのイメージではありませんか?(笑)

ヨドバシカメラ正面、当時、倉庫で働いていた人たちには信じられない光景でしょう。この辺に貨物駅があったみたいですね。つまりあたりにも線路があって貨物列車が走っていたということですね。 電車の線路をよく観察してみるとわかるのですが、少しカーブしているんですよね。本来はまっすぐ乗り入れて物資を運んでいたのでしょう。
貨物船はほぼほぼ撤去されたのですが、唯一残ったのが秋葉原第一トンネル。そのトンネルはいろいろとお世話になっている富士ソフトアキバプラザの付近にございます。今は新幹線の線路になっているみたいですね。 上野東京ライン開通前に、どのように新幹線が通っていたのかがわかりますね。
ただ万世橋や佐久間橋と違って面影が無さすぎですね。まぁ再開発されて完全に撤去されてしましましたからね~。
で~す~が~、ちゃんとあるんですね。
秋葉原練塀公園を御徒町方面に突っ切れば、歴史を感じさせる建造物がみえてきます。

2k540アキオカアルチザン。
万世橋と同じく複合施設となりますが上にご注目、この不自然に切れた線路、もうおわかりでしょう!
蔵前橋通りを突っ切り、練塀公園、富士ソフト、そして秋葉原まで貨物船は通っておりました。
ちなみに2k540の店内はお洒落でクリエイティブな雰囲気でした。
さて、肉のハナマサを左に秋葉原にもどりましょう。
貨物で物資を運んでいたのはわかりましたが、逆に近くに住んでいた人、若しくは車で荷物を運べる人は、いったいどこで荷下ろしをしていたのでしょう。 その答えは、神田消防署のとなりの高架下にございました。
Wikipediaに載っている1960年の撮られた秋葉原貨物駅との比較なんですが、線路の形状に小さな橋、なにより直進すれば秋葉原駅なのでおそらくここなんじゃないかな~と僕は思っております。中央通り、若しくは昭和通りからこの小道に入り高架線をくぐって中に入っていろいろ受け取っていたのかな~って思ったりもします。 人を乗せて走るのは万世橋、物を乗せて走るのは秋葉原駅と区分されていたのですが、東京駅ができたことにより秋葉原も旅客輸送を始めることになります。 それにより万世橋駅は衰退、神田青果市場ができたもの影響したのでしょう。今のUDXですね。
関東大震災の復興の一環として建てられた市場だったそうです。秋葉原交番の正面に神田青果市場跡地の石碑がございます。

現在はレストラン街、今も昔も食べ物を扱っているところが共通しておりますね~。
石碑以外になにか残っているとすれば、数年前でしたら岡村屋のところに千代田海藻という乾物屋さんがあったのですよね~。
それが今も残っていればもうっちょと歴史がわかったんですがね~
なぜこんなところに乾物屋さんがあるの?とか通った人は思ったんじゃないですか?
青果市場として大変盛り上がったと思いますが、昭和20年、太平洋戦争による空襲でここら一帯は焼け野原になってしまいました。 一応、戦後に青果市場は復活するんですが、当時は物も人もドンドン増えて道路も渋滞、電車は満員等、需要と供給が追い付かない状態だったようです。 そんで耐え切れず青果市場は大田区へ、貨物も辞め、今の秋葉原の原型ができたわけです。
青果市場としての地位を失い、衰退の一途を辿る・・・わけございませんよね~。
実は秋葉原は青果市場だけでなく、もう一つの顔を持っていたのです。
それはもう皆さん誰もがご存じでしょう。そう、電気屋さんです。
ビッグカメラの向かいにある愛三電機もその波に乗ったお店。
戦後、ヒロセ無線を中心に電気屋さんが多く出店。
問屋さんがあったのもあって秋葉原の家電は安く、全国から人が押し寄せ「電気街の秋葉原」が形成されたのでした。
当時は高価であったパソコンも扱うようになり、マニアックな人たちも増えていきました。
その中にはオタクといわれる人種も混じっていました。
オタク街と呼ばれるようになるのは、Windows95が発売されてから。当時はソフマップにお客さんが押し寄せておりました。 パソコンが一般的になったところでITバブルが崩壊、ですが秋葉原はオタクを見逃さなかった!
電気屋さんはゲームやアニメにシフトチェンジ。90年代後期、「アキバ系」という言葉が生まれたころです。
UDXにバスケコートがあった時代ですね。まさに陰と陽が交わっていたわけです。
さらに、追い風になったのは電車男の必答。一般にも人気され始め、歩行者天国にはパフォーマーやアイドルが集まり、まるで毎週がコミックマーケットのような雰囲気でした。 しかし、終わりは突然訪れてきました。2,008年6月8日、7人もの命が亡くなり10人もの重軽傷者を出した秋葉原通り魔事件。

それは秋葉原のど真ん中で行われた事件でした。
それから約3年間、歩行者天国は中止になり、世間ではやっぱりオタクは危険だ、だから事件は起こったなどと報道されることになります。 当時はリュックを背負っているだけで職務質問される過度な横暴が目立ちオタクはおろか電気街が好きだった人たちまでも駆逐されていきました。 この時代は物はあるけど人がいないということがよくありましたね。閉店開店を繰り返すお店も多かったでしょう。
ですがちゃんと動いていたものがございます。
AKB48です。

AKB48をはじめとするアイドル達、彼女らの功績であの事件は少しずつ薄れ、再び秋葉原に人が戻ってくるのです。
中国からの爆買いをきっかけに世界から秋葉原が注目され始め、以前とは違った賑わいを取り戻します。
観光客が増えると同時にご飯屋さんも乱立。今ではグルメ巡りが出来るほど多くのお店が出店されております。

てなわけで、秋葉原の歴史を辿ってみましたがどうでしたでしょうか?
一応ですが時系列はこんなかんじ↓↓↓

1890年 秋葉原貨物駅 完成
1912年 万世橋駅   完成
1919年 秋葉原が旅客輸送を開始
1923年 関東大震災で万世橋の消失
1928年 神田青果市場 完成
1943年 万世橋駅 営業終了
1945年 太平洋戦争で焦土化
1948年 ヒロセ無線を中心に電気街構築
1950年 家電ブーム  到来
1975年 秋葉原電気街 全盛期
1989年 PCが秋葉原に
1995年 Windows95  発売
アキバ系
2000年 電気街からオタク街へ
2005年 電車男の大ブレイク
2007年 オタク街   全盛期
2008年 秋葉原通り魔事件
歩行者天国  中止
AKB48の流行
2011年 歩行者天国  再始動
オタク街から観光地へ
2014年 中国人の爆買い
2015年 「Akiba」として世界から認知される

昔と今が共通している部分は、物は違えどやはり商人の街ということですね。
青果市場時代ではお野菜を、電気街時代では家電を、オタク街時代ではオモチャを、現在は何でもある街、総合街と言ってもいいでしょうか。 常に変わり続ける街秋葉原、見届けていこうと思います。

さようなら。

秋葉原、神田、上野、御茶ノ水、浅草橋エリアの

キャバクラ・いちゃキャバ・セクキャバなら

秋葉原いちゃキャバCLUB PLATINUM(プラチナム)

営業時間 18時~1時 定休日 不定休

住所 東京都千代田区神田松永町1秋葉原ファーストビル9F

TEL 03-3527-1912